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新潟県十日町 染料 梅
織物の町、十日町は、そのむかし麻織物の産地として、小千谷と並んで栄えていました。十日町で絹織物が発展するようになったのは、文政年間にこの地に来住した宮本茂十郎の功績による。彼は西陣の織工でした。茂十郎は絹糸のみ透綾織を生み出しました。「蝉の羽にも似て、その薄地の織物は、見るからに涼味をさそう」と言われ夏のきものとして東西の人気をさらったのです。こうして茂十郎はこの地に絹織物の基礎を植え付けわずか数年間でこの地を去りました。
その後、明治20年頃になると、西陣から明石を十日町の佐藤善次郎が研究、透綾の技術を併用して十日町明石がつくられます。「素で着る」という姿が粋筋で流行しました。うなじから肩の線、えりもとからわずかに胸のくぼみあたりをみせて晒でさえぎり、肌に白さは明石の薄物を通してあやしげな、あだっぽさを感じさせたものでした。