紅彩華 米沢織

97,900円(税8,900円)

DETAIL

米沢織 紅花の里

 山形県の南端、自然豊かな吾妻連峰の裾野に広がる米沢盆地の中心に位置する米沢市。米沢の歴史は上杉藩を抜きにしては語れません。米沢織の歴史は、慶長6(1601)年、上杉藩の米沢入城から始まります。関ヶ原の戦いの後、上杉家は会津120万石から米沢30万石に移封されました。藩主上杉景勝の側近だった直江兼続は、藩の収益拡大を図るため、織物の素材となる青苧(あおそ)や絹を生む蚕の餌となる桑、染料となる紅花などの栽培を奨励。これらは藩の特産物として、織物産地に売り出されました。
そして、米沢織を産業として確立した江戸後期の9代藩主・上杉鷹山は、産業振興に力を注ぎ、そのひとつとして、武家の婦女子に内職として機織りを習得させたといわれています。さらに、養蚕業を奨励したり、本場・京都から織物師を招いて研究開発を行ったりしたことで、織物産業が飛躍的に発展したのだそうです。この時期に紅花や藍、紫根(しこん)などの植物染料で糸を染めてから織る「先染め」の技術が確立され、出羽の米沢織として全国に知られるようになりました。
紅花で染められた絹糸。染料の量によってさまざまな色合いに。
歴史はまだ続きます。明治から昭和にかけ、手織機に代わり、動力を使った「力織機(りきしょっき)」が導入されて生産設備が発展。海外向け製造が始まり、主にインドやアメリカに輸出されました。大正時代には米沢高等工業学校(山形大学工学部)の教授であった秦逸三(はたいつぞう)が“日本で初めて”人工絹糸(レーヨン)を発明。米沢市内に帝国人絹株式会社が創設され、全国に先駆けレーヨンなどの化学繊維の生産が始まったことで、それらを応用した織物の研究開発が進みました。この会社がなんと、現在の帝人株式会社です。昭和30年頃から化学繊維を使った洋服が一般的になると、米沢は呉服と洋服生地の2つの産地として評価を得たのです。

ショッピングガイド

SHIPPING 配送・送料について

クロネコヤマト
送 料

RETURN 返品について

不良品
商品到着後速やかにご連絡ください。商品に欠陥がある場合を除き、返品には応じかねますのでご了承ください。
返品期限
商品到着後7日以内とさせていただきます。
返品送料
お客様都合による返品につきましてはお客様のご負担とさせていただきます。不良品に該当する場合は当方で負担いたします。

PAYMENT お支払いについて

クレジットカード
銀行振込(バーチャル口座)
Amazon Pay